映画と文学を生きる
こんばんは。
久しぶりにブログを書いています。
先週オープンした本屋のことも書きたいのですが、その話は担当のスタッフにまかせたいと思います。
なぜ久しぶりに文章を書こうと思ったかというと、頭と心を整理したいと思ったからです。
そのような理由から、とりえず書いていきながら整理してみようと思います。
これからやりたいことはたくさんあるのですが、「いま」やりたいことが大きく二つあります。
一つは生きにくさを抱えた仲間の共同生活住居(通称グループホーム)です。
もう一つは3回目の緊急事態宣言を受けて居場所宅配サービスの再開です。
まずは後者から、これまでの居場所宅配サービスは書籍の貸出と珈琲と手紙を届けるものでしたが、今回は書籍の販売と珈琲と手紙を届けるものにしたいと考えています。
そのため少し準備がかかりますが、こちらは自力で始められるサービスのため、5月3日スタートを目指します。
そして前者についてですが、先々週、本屋の準備に追われる中、普段からよく居場所に通っていた仲間の一人が緊急入院になった知らせを受けました。
担当者に理由を聞いても、本人が入院する必要性を感じられず、個人に原因(問題)を求める医学モデルのやり方に残念な気持ちになりました。
さらに今後のことを聞くと、もともと住んでいた家に戻れない(問題を起こした)ので、どこで暮らすかわからないし高齢なので施設も検討とのことで、ますます残念な気持ちになりました。
数年前から居場所に通っていた仲間だったため、何とかしたいと思いました。
前々からひびうたの近くで暮らしたいと希望を聞いていたので余計にそう思いました。
「周りに決められてきた人生、受け入れて生きるしか仕方ない」と聞いていたので強くそう思いました。
そしてすぐに行動を起こしました。
先週、本屋の準備が佳境を迎えるなか、不動産屋から情報を検索し、ひびうたから徒歩圏内の物件を下見し、大家さんに障がい者用のグループホームを運営することの許可を得て、物件の建築課から消防薯、入院先の担当者まで計画についての承認を済ませました。
入院している仲間には物件が借りれるまでは期待させてしまうため伝えていません。
そして、いざ2回目の物件下見と申し込みの日、不動産屋から連絡があり、大家さんと連絡が数日取れないため2回目の物件下見が急遽キャンセルになりました。
これまで順調に進んでいた計画が初めて壁に当たりました。
しかしこちらには急ぐ理由がありました。
退院日が決まっているからです。
退院日から逆算するとここで申し込みを済ませないと間に合わないと思いました。
そのため、2回目の下見は諦め、申し込みを済ませたのが、本屋開店の前日(22日)の木曜日でした。
不動産の返事では今日か明日に審査結果がわかるとのことで、待ちました。
今日も明日も明後日も返事が来ず、昨日(25日)の日曜日、午前10時の映画祭で「アンタッチャブル」を見終わってすぐに、審査が通りませんでした。との返事がありました。
詳しい理由はわからないと前置かれつつ、保証会社のニュアンス的に事業内容(障がい者用グループホーム)によるもので、事務所としてなら通ったかもしれません。と伝えてくれました。
今回は最初より大きな壁にぶつかりました。
目指していた道が完全に閉ざされた瞬間でした。
入院を決めた担当者や、保証会社の担当者に、不満はありません。
そんなことを思っても仲間の居場所が作られるわけではないからでしょうか。
そんなことよりも、他の道をすぐさま探しました。
ここで諦めても誰にも批判されることもなければ、誰も諦めることを止める人もいないのはわかっています。
むしろよく頑張ったなどと慰められるのが落ちでしょう。
ただ、やはり人間だからか、できない理由は自動的にいくらでも出てきますし、昨日の審査結果の後から何度か諦めようと思いました。
それでも、今日(26日)月曜日、すでに不動産屋から大家さんに相談してもらって経験がないからとの理由で断られたそうですが、大家さんとの直接取引のための話し合いの場をつくってもらいたいと不動産屋に打診しました。
直接話し合うことで、大家さんの気持ちが少しでも動く可能性があるのなら最後はそこに懸けてみます。
そして物件契約から新規事業の許可申請までを30日の金曜日までに済ませることを目指します。
ここまでやっても無理なら今回は諦めます。
決意は発して初めて決意になる。
と思い、ここに決意を綴りました。
決意した以上、前に進みます。
こう思えたのは文学「走れメロス」の影響が大きいです。
メロスの台詞「間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。(中略)私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。」
だから、結果がどうなるかわからなくても居場所をつくるために走ることができます。
そしてたまたま昨日見た映画「アンタッチャブル」の影響もとても大きいです。
1930年代、シカゴのマフィアとして君臨したアル・カポネの悪を暴くエリオット・ネス率いるアンタッチャブル。
仲間の一人が暗殺され、マフィアを一掃する計画を諦めかけたネスに、自身も襲撃に合い瀕死の中で「打つ手を考えろ!」と叫んで死んでいったマローンの言葉が胸に響きました。
だから道がなくても道を開くための一手を打つことができます。
そういう意味で映画と文学を生きている。
そう思いました。
後日、結果はどうあれ続きを書きます。
最後まで読んでくださった方へ、ありがとうございました。
ひびうた代表
大東悠二
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