第1回日々詩書肆室読書感想〇〇

日々詩編集室賞 受賞作品

孤伏澤つたゐ 「わたしは虎になりたい」

  弟がいる。自動車整備の専門学校を一級整備士の資格を取り卒業したのち、「ぼくはもう車は直さん」と豪語して車の知識を最大限に生かして自動車のカタログを作る大手の広告代理店に就職した。「大企業に就職し、二十五までに結婚し、二十六には子どもがうまれ、三十までに家を建てる。子どもの運動会で、ヒーローになるのが夢」と、高校時代には完全な将来設計ができていた。そしてほぼ、その計画どおりに生きている。しかもやつは、子どもが生まれたら育休を取得し、自分の弁当は自分でつくる、なんならパートナーの分もつくるし、休日の朝は、ドラマでしか見たことがないようなすてきな朝ご飯を作ってしまう。上質な暮らしBLで攻が作っていそうな朝食の写真ばかりが並んだ弟のインスタグラムを発見したときは、恐怖でわれとわが目を疑ったが、わたしの弟はそういう人間である。

 さて、そんな、完全無欠なように見える弟だが、天から与えられなかった二物がある。

 ―本を読むこと、である。

 生活力がなく、定職に就かずふらふらし、貯金もなければ結婚するつもりもないわたしの人生とは正反対。母親の腹の中に用意されていた人間の人生における幸運を何一つつかまず、弟に全部くれてやったわたしが、生まれてくるときにたったひとつ、握りしめていたもの。

 本を読むこと、である。

 弟は、本を全く読まない。だから、夏休みの宿題は七月のうちに終わらせるような計画性をもっていても、夏休み最終日までのこしてしまう宿題があった。

 読書感想文。

 弟が小学生の時は、いつも苦しみながら、母が書いていた。

 弟が高校生の時だった。

 読書感想文の宿題が出た。中学の読書感想文の提出は任意なので提出せず、高校生になればそんなものに苦しめられることはないとタカをくくっていた弟は絶望した。弟より絶望したのは母親だ。

 小学校の読書感想文のようにコンクールがあるものではなく、課題はクラス全員が統一だった。授業でやる中島敦「山月記」。四十年以上まえに高校時代をバレーボールで終わらせている母親に「隴西の李徴は」などと言いはじめる中島敦を倒せるわけがなかった。

「おまえが書くしかない」

 当時大学生だったわたしに、母はそう言った。

 わたしは読書感想文、というか、そもそも国語が得意なこどもだった。国語以外に得意教科はない、ただし国語だけならクラス1位の座をだれにも譲ったことがない、というような。

 できる人間というのは、できない人間の気持ちは一ミリもわからない。ちょうど教員免許を取ろうとしているときだったので、教えてやれば書けるかもしれないと思って教えはじめたが、弟は、そもそも「隴西の李徴は博学才穎」でつまずいているので、尊大な羞恥心だの臆病な自尊心だのというところにたどり着けていなかった。授業は聞いているらしいのだが、何を言っているのかちんぷんかんぷんだった様子である。

「おまえが書くしかない」と母はふたたび言った。

 めんどくさいし、いやである。知らんふりしていたら金が積まれた。

 大学生というのは金がない生き物だ。金に釣られて書いた。

 そうして弟は、それをしれっと提出した。

 

「―このクラスには作家がおる」

 新学期初の国語の授業は、そんな言葉ではじまったらしい。

 陸上部の「ぼく」が抱える葛藤、陸上競技というのはリレーを除いて個人競技だが、その個人競技にも要求されるチームメイトとの関係・連帯、そこから生じる葛藤と嫉妬……自分自身の才能を信じ切れず、かといって凡人として自分を定義することもできず虎になってしまった李徴とみずからを重ねあわせ、自身のうちに住む「虎」を見つめたその読書感想文の素晴らしさに、国語教師は感動し、すべてのクラスで読みあげた。弟もそれを、「ぼくの部活のやつらみんなあほやのに、こんなこと書くやつもおるんやなあ」と思って聞いていたらしい。―自分の名前が、その感想文の最後に読み上げられるまでは。

 その日から、弟は卒業まで「作家」と呼ばれるようになり、国語の成績も、万年3だったのが、5になった。いつまでも足を引っ張っていた国語の成績が底上げされたことで、弟は志望校にも推薦で入学した。作家というあだ名は幸運なことに、高校卒業とともに消えた。

 

 日本で生まれ育ち、日本で義務教育から高等教育までを修めているので、そこそこの数の読書感想文を書いているはずだが、人生で覚えている読書感想文は、この弟に提供した(母が買い取ってくれたともいう)『山月記』の読書感想文だけだ。最後の結びに「虎は、ぼくの中にもすんでいる」と書いたことまで克明に記憶している。

 だがわたしは、じつは山月記にはそこまで思い入れがない。

 小説家として生きていると、小説家の仲間たちの多くから「山月記コンプレックス」という言葉を聞く。山月記に書かれている李徴の詩/詩友への侮蔑・選民意識に、みな共感するところがあるという。だが、わたしはまったく、山月記に痛々しい思いを抱くことはなかった。わたしは尊大な自尊心と尊大な自己肯定感を持っているため、「己の珠ざるを一ミリも信じて疑わない」のである。

 そんなわたしなので、三島由紀夫の「詩を書く少年」のほうが、読むたび作家として追い詰められている。

 弟の読書感想文は、あれは全くの他者―山月記をなんとも思っていないから書けた文章だったと思う。小説を書くように、李徴の内面と、弟が持っているかいないのかもわからない才能とチームメイトへの焦燥を、弟の完全無欠なキャラクターに重ねあわせて書いただけ。

 ほら、やっぱりわたしには「珠」がある!

 

 今回、作家として本を出版してもらう機会を得た。かなり苦労して原稿を書いたので、そろそろわたしも、「己の珠の珠に非ることを惧れる」気持ちが生まれたかと思い、「山月記」を読みかえすことにした。

 わたしは、李徴に―いや、虎になれてめっちゃええな李徴、と思った。

 突然だが、『高丘親王航海記』、晩年の澁澤龍彦が書いた冒険小説をご存じだろうか。―主人公の高丘親王が、天竺を目指して旅に出るという冒険小説だ。ジュゴンやパタリヤ・パタタ姫など魅力的な登場人物たちと出会いながら旅をする高丘親王は、物語の終盤、虎に食われることで、天竺へたどり着くという方法を採る。この高丘親王は澁澤の自己が投影されているキャラクタとして読みとかれていくことが多い。

 あの中島敦の傑作を読んでおいて、澁澤のことしか考えないのか?

 みなさん呆れていらっしゃるかも知れないが、まあ、そうである。澁澤のことしか考えてない。

 澁澤龍彦の血肉を食らい、プラスチックのような骨だけを残し、天竺へはこぶ目的を遂行させる……ともに天竺へ行ける可能性があるのならば―わたしは虎になりたい。