だれかといない場所

2024年9月8日刊行

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執筆者

井上彼方(VG+)

小泉初恵(相思社)

佐藤創(鳥羽・なかまち)

関口竜平(本屋lighthouse)

大東悠二(HIBIUTA AND COMPANY)

 

小エッセイ・孤伏澤つたゐ

編集・井上梓

関口竜平 適当な空間、得体の知れない大人

「町には本屋が必要だ」。そんな言葉を「本」を取り巻く状況ではよく耳にする。

本屋は共有地、とも。

いったい町に必要とされている本屋とは、共有地であるとは?

そんな逡巡なんて関係なく乱入してくるこどもたち。書店主と子供たちの関係について。

 

井上彼方 それでもその先を夢見て

小説を書く/読む場を開くとき、書籍は読者が集う場所になる。

SF小説を通して、そして、一緒に暮らしているぬいぐるみや猫たちとのかかわりを通して、

「他者」のいる場を考えてゆく。

ここではないよりよい世界を夢見ることの、現実を変革する力を信じて。

 

小泉初恵 水俣、メガネ、天然魚

海と山に囲まれた小さな町、水俣。

全国どこにでもありそうなこの町はかつて水俣病が起きた場所。

そして、天然の魚みたいなひとがたくさんいる。

この町で起きたことを、語り、伝えようとしてゆくことを、町の外からやってきて、町に暮らすまなざしで語る。

 

佐藤創  鳥羽・なかまちに住んで

三重県は鳥羽、なかまちに、地域おこし協力隊としてやってきた佐藤さん。

地域の人とのほど良い距離感や関係、この町に住み、事業をやってゆくことについて。

ちょっとだけ自由な無法帯での生き方の具体例。

 

大東悠二 わかち合う時を求めて、わたしたちの共有地をつくる

子どものころ、母と映画をみた時間が「わかち合い」の原点だった。

二度のパリ旅行、シェイクスピア&カンパニー書店との出会い、

ちがいのある人が共に過ごせる「共有地」、だれもに開かれた「場」づくりの軌跡。

はじめに

井上梓

「わかち合う時を求めて、わたしたちの共有地をつくる」。

 そんな場所ではたらくことが決まったとき、「共有地」の本をつくりたい、とまっさきに思った。

 まっさらな出版の計画書に「共有地の本」と書きこんだ(といってもわたしはメモをとらない人間なので頭の中にある計画書、だが)。そのときはまだ、どのような本をつくっていくかについては未知数だった。

 その日から、共有地探しがはじまった。

 ただ、この共有地探しには大きな問題があった。共有地ってなに? である。共有地という概念は漠然としていて抽象的で、よくわからない。世の中にはきちんと定義づけがされている共有地というものが存在するのかもしれないが……。

 そこでわたしは、共有地と思える場所について考えることにした。まち、はそうだ。カフェ、もそうらしい。書店、は――言わずもがな、という顔をしているけれど、書店ってほんとうにそうだろうか? という思いもなきにしもあらず。だって「本」って有料だ。お金を持っている存在だけが「共有」できるのでは? とか。考えれば考えるほどわからなくなる。これは難しい問題だ。

 まあそもそもが、抽象的な概念じゃないか。

 よし、それなら共有地だと思われる場を維持している存在に話を聞いてみるのはどうだろう。……ということで、わたしが共有地だと思った場に関係する者たちにエッセイを書いてもらうことにした。

 まちがある、書店がある、「共有地」と名乗る場所がある。――そして、「本」そのものも、わたしにとっては共有地だ、と思った。書物というのはなんとなく一方的に、相互通行のない閉じたコンテンツのように思えるが、ここにわたしの居場所がある、わたしの知るものたちの居場所がある、と思う瞬間がある。そしてそう思わせられる書物は、書店や、図書館、駅の待合などに存在することで「ここはわたしがいる場だ」と認識できる機能を果たす。ならばそれもまた、共有地である。

 ふたつのまちと、一軒の書店、本(とそれをつくる取り組みをしている)、共有地を名乗っている「場所」、五つの共有地を維持する存在に原稿依頼を出し、到着するのを待ちながら、本のタイトルを考えた。

 

 「だれかといない場所」

 

 すんなりとタイトルは決まった。

 「共有地」なのに、「だれかといない」だって? ふしぎに思われるかもしれないが、「あなた‐わたし」という関係で一緒にいる場所のことを共有地って呼ぶの、ちょっと違和感がある。特定の「だれか」といる場所、それはとても個室、のような。

 共有地にはかならず他者がいる。もちろん互いに名を知り、深く語りあう他者のこともある、いつも顔は見るけれど名を知らぬ他者のこともあれば、ゆきずりのまったく知らない他者のこともある。「共有地だ」と思う場所では、その他者とわたしはつながることよりも、つながらないことのほうが多かった。わたしが圧倒的に知らない存在たちがいて、調整され、維持され、はぐくまれてきた場所である。

 だれかの個人的な営みや行動、だれかの思いや試行錯誤、だれかののこり香――ここにいる/いただれかが、たたずみ、見わたす気配だけがあって、ここは、わたしもいる場所である、あなたもいる場所である、という空間だけがある。

 その場とともに歩む存在のすべてを知ることなく、そして、おなじ場を「あなた‐わたし」の共有をせず、「だれか」同士のまま、ひとりでたたずみ、見まわす、――やすらぎ、くつろいだとき、軌跡と、場、そのものが、「わたしたち」である場所を、共有地と、わたしは呼ぶのかもしれない。


わかち合う時を求めて、わたしたちの共有地をつくる。

大東悠二

 

パリ、もとまち

 

 

 18歳の冬、リュックを背負い、『地球の歩き方』を片手にパリに降り立った。

初めての海外、スマホのない時代、どうやって中継地を乗り継いで目的地まで辿り着いたか記憶はない。

 

 この年の一年前に一本の映画に出会った。フランス、パリ近郊で生まれ育ったレオス・カラックス監督による「ポンヌフの恋人」。

 

 失明するかもしれない絶望から路上生活を始めた画家のミシェルと、長年に渡って路上で生活してきたアレックスが橋の上で出会い、恋をし、愛に目覚める物語だ。フランス革命の祭典で打ち上げられた花火を背に、橋の上で踊る二人のシーンがとにかく好きだ。二人は言葉を交わさず、お互いの存在を認め合う。遠く離れた異国の二人に強烈に惹かれ、映画の舞台をこの目で見たくなった。そこからは旅費を貯めるがために学校よりアルバイトの時間が増えていった。ここまで強烈に惹かれたものは何だったのか。

 

 三重県伊勢市小俣町元町。高校を卒業してからと少しの間、このまちで育った。両親と六つ年の離れた兄と私の四人はその家にいた。母からはよく、私が生まれる前にもう一人の兄か姉がいたが、生まれてくることはなかったと聞かされていた。母は十人以上の兄妹、なかでも兄が一人だけで、他はみな姉と妹の中で育った。だからだろうか、長男の次は長女がほしかったそうだ。当時の出生前検査では、確かに私は女の子と診断されていた。母は嬉しくなって、女の子用のべビー用品を買いそろえた。そして、生まれたのは男の子のわたしだった。父は中学を卒業してから肉体的な労働で汗を流した。私が生まれてからは、朝の新聞配達も始めた。父との思い出は少ないが父の思い出は少なからずある。真っ黒に日焼けした肌、一升瓶を片手に無言でテレビを観る姿、飲酒運転しながら車を走らせる横顔。父は酒が好きだった。両親はよく、お金にまつわる喧嘩をしていたので、家計が苦しいのは幼い頃から知っていた。兄は高校を卒業してからすぐに就職して家を出た。年の離れた弟が可愛かったのか、よく遊んではくれたが、大事にしていたおもちゃにちょっかいを出されて泣いたことが何度もあった。

 

 私たち四人が共に過ごすのは、夕食時だけだった。

小さな家の居間に置かれたちゃぶ台を囲んだ食事の時間はいつも無言で、テレビの声だけが聞こえていた。

 

 互いに何を考えて、何を思っているのか、想像するしかなかった。

 

 小学生の頃、強迫神経的な行動に悩まされた。手洗いが止まらなくなり、何分でも何十分でも手を洗い続けた。お風呂に入れば一時間は出れなかった。一から十いや、百まで頭を洗う順番を決めて、一つでも間違えると振り出しに戻った。勉強するにもノートに書いた文字の形が気になり、数ページに渡って呪文のように同じ言葉を繰り返した。誰に相談することもできなかった。母も同じように、ガス栓を締めたかどうかを何度も確かめたり、玄関の鍵を掛けたかどうかが気になり行ったり来たりしていた。私は家族の誰とも心を開いて話すことがなかったし、家族の誰もが私に心を開いて話すこともなかった。互いの感情を言葉で理解したり共感したりするという点で、人とわかり合うことを諦めていたのだろう。この頃は、自分の気持ちを表に現すことができなかった。

 

 そんな孤独な状況のなか、映画を観る時間と出会った。もともと映画が好きだった母と肩を並べてあらゆる作品を観た。この時間だけは無言であっても孤独ではなかった。観終わった後で感想を話し合うことはなかったが、言葉を交わさなくてもよかった。なぜなら、ブラウン管に映し出される映像をわかち合うことができたからだ。映画を観ている母と私の気持ちは違っていたのかもしれない。どんな気持ちで母が映画を観ていたか、理解も共感もできなかった。それでも、よかった。ただ、同じ時をわかち合うことで、互いの存在を認め合えている気がしたからだ。何を感じ、何を思い、何を考えているといったことよりも、一つの画面を通して同じ時間を過ごしていることが嬉しかった。わかり合うことができなくても、わかち合うことができる時間が、そこにはあった。

 

 次第に映画そのものが好きになり、レンタルビデオを一人で観るようになった。高校生になってからは地元のミニシアターに通うようになった。映し出される映像がブラウン管でなくても、一緒に観る人が母でなくても、誰かと同じ時間を過ごすことが嬉しかった。放課後には映画同好会を主催し、お気に入りの作品を視聴覚室で上映した。母と観た映画、ミニシアターで見知らぬ人と観た映画、同級生と観た映画。わかち合える人の輪が広がっていった。ある日、いつものようにレンタルショップの棚を眺めていたとき、「ポンヌフの恋人」というタイトルの映画を見つけた。どこかの橋の上で雪が降るなか、うつむきがちに寄り添う男女のジャケットに魅了されて、パッケージの裏に書かれたストーリーは読まずに借りて帰った。

 

 これまで観た映画とは全く違っていた。台詞がとても少なかった。男女の気持ちが言葉ではなく、映像や音楽で表現されていた。観終わった後は衝撃でしばらく動けなかった。映画という表現方法なら自分を表出できるかもしれないと思った。これを機に映画の自主制作にも取り組んだ。脚本から撮影、編集まで一人で行った。完成した作品を家族や友人に観てもらったが、反応はいまいちだった。台詞があまりにも少なすぎて難解すぎたのだろう。それでも一向にかまわなかった。自分の気持ちを表出でき、観るだけでなく、撮ることでも同じ時間をわかち合うことができたのだから。

 

 話をパリに戻そう。

 

 主人公のアレックスが寝宿にしていたポンヌフ橋を目指した。空港からバスで市街に向かった。映像でしか見たことがなかった美しい街並みに心が踊った。――だけなら、ここで話が終わるのだが、旅の初日に二人組の詐欺グループに所持金のほぼ全てを奪われてしまったし、滞在期間の一週間は、浮浪者として過ごすしかなくなってしまった。アレックスと同じようにポンヌフ橋を拠点に、街を彷徨い、夜を歩いた。詐欺だけではなく、他にもいくつか危ない目に遭った。見知らぬ国で言葉も通じず、真冬の寒さと空腹と孤独。そんななか同じ路上で生活する人たちが奏でる音楽に救われた。持っていった一台のインスタントカメラのフィルムにまちの人たちが演奏する姿ばかり焼き付けた。パリではいたるところのあらゆる人がミュージシャンだった。広場、地下道、橋の上、橋の下。演奏から演奏へ。広場でアコーディオンを弾いていた中年の男性が特に心に残っている。身なりは汚れていて、段ボールが寝床に敷かれていたが、無精ひげを生やしたしわくちゃの顔で、演奏後に満面の笑みを贈ってくれた。夜の寒さに耐え切れず、一度ではなく、二度や三度、路上で生活する人の毛布を盗もうとした自分の心を反省させられた。どんな状況で生きていても、見ず知らずの人に優しさを贈れる人に憧れた。最終日には、空港までのバス代しか残っていなかったが、せめて土産の一つでもと思いスーパーマーケットに入った。お酒の瓶を持っていたら手が滑って床に落して割ったときは全力で走って逃げ切ったが、なんとか無事に帰国した。

 

 このときはまだ、パリにもう一度降り立つとは考えてもいなかった。

 


刊行予定日:2024年9月8日(日)

判型:B6

ページ数:128ページ