孤伏澤つたゐ ネイチャーフォトライティングエッセイ集。
ミソサザイ、ハシブトガラ、ナベヅル、
……冬になれば飛来するカモたち。旅をして/あるいは旅をせずに鳥を探した日々について。
祝福、言祝ぐ――「人間に見つめられること」は、
鳥たちにとって本来有益に働くことのない出来事だ。
鳥たちと生息地を同じくする人間として「見ること」の功罪を問う
ネイチャーフォトライティングエッセイ集。
リソグラフ印刷による写真を収録。
A5版/リソグラフ印刷/104ページ
装幀・日々詩意匠室岩﨑美空
はじめに
小さなコンデヂを買ったのは二〇一九年の春だった。鳥を撮ろうと思っていたわけではない。北海道は知床へゆき、ヒグマの写真を撮ろうと思っていた。片手に乗るくらいの小さなデヂカメで? と聞かれれば、当時のわたしは非常に真剣に、「はい」と答えるだろう。
いまでこそ、「そんな装備で大丈夫か」と思うけれど、非常に真剣だった。
澁澤龍彥のほかに、敬愛する文筆家がいるとすれば、それは星野道夫、アラスカを撮りつづけたひとである。極限地域に生きるひとびと、動物たち、凍てついた氷河の厳格さ、一瞬の春の喜びを、慈愛に満ちた筆致がつづり、研ぎ澄まされた感性が切り取る。幾度となくかれの本を読み、かれの写真を見、わたしもいつかアラスカへいって、この目でヒグマを見たい、と思ったのだ。
思いついたら即行動するくせのあるわたしは、まず、写真を撮るところからはじめることにした。国内でヒグマが見られるところは北海道。調べれば、船上からヒグマを観察できるアクティビティもすぐ見つかった。
そうと決まれば、あとはカメラだ。仕事の帰りに家電量販店へゆき、予算はこれくらいで、船のうえからヒグマを撮りたいと店員さんに伝え、ちいさな赤いコンパクトデヂタルカメラを買って帰った。
北海道へいくまでに、練習をしなければ――。
ヒグマ以外に撮りたいものがなかったわたしは、興味のむくものすべてにレンズをむけた。キノコだったり、苔だったり、木々のひこばえだったり……。そのころ、鳥の写真は一葉しか撮っていない。いつもの漁港で、打ち上げられた魚の死骸をついばむトビだった。
北海道へいけるだけのお金も貯まって、さあ、来年の春には北海道だ、というときに、COVID-19が流行した。外出は制限され、飛行機は欠便をくりかえし、飲食店は軒並み臨時休業。北海道にいきたい、ヒグマが見たい、なんて言い出せない雰囲気だったし、物理的にも難しくなっていた。
ちいさなちいさな、片手に乗るカメラだけがのこった。
外出を控えよという「勧告」、日常の買い物にいくことすらうしろめたくなるような雰囲気のなか、自由に出歩けるのは我が家の裏山だけだった。
青い、綺麗な鳥が飛んでいた。
「あの鳥、なんだろう」
カメラを持って、外に出た。まだ名前を知らなかったその鳥は、イソヒヨドリ。
メジロ、ヤマガラ、トビ、モズ、ハシブトガラス、――裏山にはさまざまな鳥がいた。鳥のことなんてなにも知らないから、近寄っても逃げないと思っていた。ずかずか近づいていって、何度逃げられただろうか。
茂みのなかにひそむアオジをはじめて撮れたとき、鳥との距離感がようやくつかめた。
カメラの履歴をさかのぼると、鳥の写真ばかりになった。すぐにコンデヂでは物足りなくなった。ミラーレスカメラってやつならもっと鮮明に鳥が撮れるだろうと、何も考えずに買ったセットは、25㎜‐105㎜のレンズがついていた。
古いコンデヂより、なにも撮れなかった。――短焦点の600㎜のレンズは、すぐにやってきた。
そこからは、カメラを持って、毎週休みの日にはどこかへ出かける日々がいままでつづいている。
家の裏山はもちろん、いつも貝を拾いに出かけていた地元の浜、数年まえにコウノトリが飛来した近所の田んぼ、――木曽駒ヶ岳、平城宮跡、伊良湖、舳倉島。
二〇二四年晩夏。ついに北海道へ行く日がやってきた。
ヒグマを見にいったかって?
いいえ、いきませんでした。わたしはウトナイ湖を行き先に決めていた。バードサンクチュアリ、と呼ばれるその場所で、ただただ、鳥を眺める一日をすごした。
四年――もう五年目になろうとしている日々を振りかえれば、不思議なものである。
鳥を追いかけて、北は北海道、南は九州と、暇があれば飛びまわる生活をしているのだから。
本を読み、小説を書き、「休日は家から一歩も出ない」ことを誇りにしていた書斎派のわたしは、いまでは毎日、週末の天気予報に一喜一憂し、どこへいこう、あそこへいこう、と頭を抱えている。それは楽しい、楽しい苦悶である。
鳥との出会いは思いがけないおくりものをうけとることだ。それらは幸福な苦悩だけではない。足しげく通っていた山がいつのまにか切り開かれ、太陽光パネルが設置されている。くちばしや足に釣り糸や釣り針の絡んだ個体を見ることもある。――それらだっておくりものだ。
人間という存在としての責任やあやまちの指摘。
わたしはこれらをポジティブに「おくりもの」とあえて表現する。
まだ鳥たちはここにいる。ここにいて、わたしのいる場所で生きている。まだまにあうのだ、という、自然界からの落とし文として。
2024年12月24日
書籍のご予約はこちらからどうぞ。
著者プロフィール:
孤伏澤つたゐ(こぶしさわつたゐ)
三重の漁村に生まれる。ファンタジー・幻想小説を書きながら、地方(地元)で生きる生きづらさ/それでもこの場所で生きてゆく物語を書く。2023年日々詩編集室からクィア小説『ゆけ、この広い広い大通りを』刊行。野鳥観察と撮影が趣味。澁澤龍彦が好き。